大人になれば、楽になれると思ってた
子供の頃、よく周りから「大人になりなさい」と言われた。
でも、「大人になればどんな良いことがあるのか」は教えられなかったように思う。
幼稚園から中学生のころまで、若干生きづらかった。
それは、どうしても自分のことをあまり好きになれなかったから。相手に思ったように意見を伝えられない臆病な自分が嫌い。やっと伝えられる相手ができても、「これは伝えても良い/ダメ」の線引きがコントロールできなくて、人間関係がうまくいかなかったり……。
結局は他人に依存していたのだと思う。
そんな当時のわたしの性質に気づいた実年齢上の大人から散々「大人になりなさい」と言われるものだから、「はいはい、とにかく大人になればいいのね」と頭で理解して、年を取り、本当に年齢だけは大人になってしまった。
みんな「大人になりなさい」と言うのだから、大人になれば楽になれるんだ、悩みなんてなくなるし、人間関係で悩むことなんてなくなるんだと勝手に思っていた。
でも、大人になったからといって、楽になれるわけではない。
子どものままでも痛いけど、大人になっても痛い人はいる。
一応、20代になったのだから、人並みには成長する。対人関係で表面上はうまく折り合いはつけられるようになったし、気持ちの伝え方もなんとなく分かってきたし、昔ほど感情をあらわにすることもなくなったし、自分と徹底的に合わない人がいれば姿を消す術も覚えたし、それなりに自分を好きになれた。
きちんと自分の生きる場所と環境を選ぶ目を持てるようになった。
それでも、楽じゃないし人間関係の悩みはなくならない。
大人になると、こんな予想外なことがあった。
1つ目は、誰かとケンカしたらもう仲直りが難しいと言うこと。2つ目は、無駄な保身がやたらとうまくなること。3つ目は、自分のことを分かった気になるものの、本当は何も分からないままなんだということ。
これは大人も子どもも同じだけれど、人は自分の大切にしているものの価値を下げられた時に、悲しみや怒りを覚えるのだろう。
子どもはそんなとき、「ごめんね」といえばなんとかなったりする(そうじゃないときもあるけど)。何事もなかったかのように仲直りできる確率は低くない。
大人はそうはいかない。自分を守るプライドが自分を貶める相手を許さない。
その自分を傷つける/自分が傷つける相手が、嫌いな人なら、えい、と縁の糸を一気にハサミできればいいもの。
でも、それが自分にとって嫌いでなかったり、大事だったり、それともかつて大事だったり、そういう類の人ならどうすればいいのだろう。
人間関係って相互的なものだから、絶対にどっちかが悪い、ということではない気がする。相手から傷つける言動を受けたと思っていても、そうさせているのは自分だったりする。
わかっているなら許し合えばいいと思うけど、相手がそういう気持ちじゃなかったりする。こればかりはタイミングだから。
それに、相手を許すと、自分の心をないがしろにしてしまう。自分の心を許すと、相手を許せない。そんなところまできてしまうことがあるし…。
これが小学生どうだった?ごめんなさいの言葉だけで、物事は自然とおさまる可能性はあるのに。
ただ、わたしは縁を信じるので、大人になってもう戻らないところまで来てしまうと、そこでお互いがお互いのための役目を果たしたのだと、潮時の瞬間なのだと悟るようにしている。
喧嘩したら仲直りできないということ。保身してしまうこと。自分のことを分かった気になって分かっていないままであること。
それが大人になるということだなんて、難儀だなぁと思いながら、わたしは今日も明日も自分のために生きていくんだろうな。