思考中

ライターです。ドラマと音楽が好きです。もうすぐ24歳

2021/11/14

私は米津玄師のファンなのだけれど、彼が過去に匿名で開いていたお悩み相談室で、彼は「幸せへのハードルは低ければ低いほど良い」みたいなことを言っていて、激しく心の中で「わかるわかる」と頷いた記憶がある。

私も若い頃(と言っても今も若いけど)は、何か実体のない大きなものを求めて生きていた気がする。自分は何かを成し遂げるのだと思ったり、友達と遊んでいても見栄えの良い写真ばかり撮ろうとしたり、彼氏ができたら映えスポットデートらしいことをしたり、「君だけを愛してる」みたいな大袈裟でロマンチックな言葉を求めたり。大きなものを得て初めて、「幸せ」というものが手に入るのだと。それを手に入れるために、虚しく一生懸命生きていた時もあった。

でも違うんだな、と思ったのは3年くらい前のこと。大きなものを手に入れられて、心の底から幸福感を味わえるかといえば、必ずしもそうではないと知った。それは虚しくがむしゃらに生きて、側から見て大きなものを手に入れたのに、自分の心が幸せじゃなかったと気づいた時があって、その瞬間に悟った。

じゃあ幸せだな、と思いながら生きるにはどうすればいいのか、考えてみたけど、当時はわからなかった。

そんなとき、ドラマ『きのう何食べた?』に出会って、あぁ、こういうことなんだな、と腑に落ちた。日常でドラマチックなことは起きなくても、目の前に大切な人がいて、一緒にご飯を食べて、おいしいね、と言い合う。それだけで幸せなことなだ、これはありふれた当たり前のことではないのだ、と知った。

私にとって幸せはじゃあ何なんだというと、なに不自由なく歩ける健康な足を持っていること、その足で遠くまで赴き景色を楽しむ目を持っていること、音楽が聴ける耳があること。家に帰ると家族がいて、毎日仲良くご飯が食べられること。信頼できる人がたくさんいること。

誰と比べるでもない、ただ自分が幸せと思うポイントを持っているだけで、すごく日常は豊かなんだな〜。と『何食べ』を観て思ったのだ。

昨日、親戚の赤ちゃんに会った。赤ちゃんと言っても1歳で、遠くに住んでいるから会うのは2度目。ついこないだ生まれたばかりなのに、会っていない間に1歳になってしまった。赤ちゃんの成長は早い。

これが幸せなのだな、と思う。生まれたという事実だけでもドラマチックな出来事で、そこから赤ちゃんは声を出したり、離乳食を食べたり、歩いたり、意思表示をしたり、初対面の人間に慣れたり、と小さな小さな成長を重ねて、大人に近づいていく。

次に会うのはいつだろう。きっと、少しは言葉も話せるはず。今この瞬間のこの子に会えることは、この先、金輪際ないのだ。

それは赤ちゃんに限らず、年老いた祖父母、まだ生きている曽祖母、いや、20〜50代の若い世代だって、次会うときには何がどう変わっているのかはわからない。それでも今、ここに元気に集っている。その事実こそが幸せだと思った。

今、ここにあるもので満ち足りている。心底そう思えるのは、案外難しい。

今は満ち足りていると感じていても、何かのきっかけで大きな欠落を感じて苦しむ時がやってくるだろう。それでも、「あれがない」「これがない」とないものねだりの自分に戻りたくないと思う。

藤井風の『特にない』という曲がある。望みや見返りへの欲求もない、満たされている、と歌った曲だ。

菩薩が悟りを開いたような歌詞なので、さすがにこの境地に辿り着くことはできないけど、一つのお手本でもあるなぁと感じる。

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