24歳に近づいて思う、大人になってよかったこと
もうすぐ、あと2ヶ月で24歳になろうとしている。
わたしはずっと「大人になったって楽になれるわけではない」とどこか思っていた人間だけれど、悪いことばかりでもないなと思っている。
10代くらいまでは、特技は辛くなることです、と言わんばかりにわりかしいつも憂鬱で不機嫌だった。
わたしは基本的に楽観的な性格ではないし、苦楽問わない一つひとつの出来事について、深くも浅くもない思考を必死に傾ける癖があった。「この出来事はどうして起こるのだろうか」「これは何のために存在するのか」と何かしら考えては自分を納得させるために頭を働かせていた10代だった。
もちろん歳をとればとるほど、自分に降りかかる出来事は増えていくわけで、もちろん嫌なこともおおいし、というか生きていて何も起こらない人なんていないわけで、とりあえずその数が増えれば増えるほど、ちょっと頭と心が疲れるようになってきたのが20歳くらいのこと。
これはもうむりだ!と思って、「考えてもしゃーない!」とあきらめ癖をつけたのが社会人になったときのことだった。
というわけで、大人になって良かったのは、「朝になればすべてリセットできるすべを身につけた」こと。
特に社会人になってからは、趣味をいっぱい持つようにしたし、「これをすればとりあえず嫌なこと忘れられるわ」みたいな時間を見つけることに注力した。
ぼーっとしてたら思考の沼に飲み込まれそうなので、とりあえず楽しいことばかりする。
今はそれがドラマを観ることだったり、知らない場所を歩くことだったり、大好きな曲を聴くことだったりする。
脳の仕組みがどうなっているのかわからないし、というか理系の話はかなり苦手分野ではあるけれど、感覚的に頭の中にタンスみたいなものを手に入れられたのかな、と思っている。
考えるべきこと、考えなくていいこと、考えたいこと。
仕事、プライベート、思考、趣味。
考えなくていいことを、考えたいことで覆い尽くす感覚。
生きやすくするための戦術みたいなものを手に入れられてラッキ〜とは思っているけれど、
逃げグセがついたのでそこは治したい。
今までは憎しみや哀しみを原動力に物事に取り組んできたから、エンジンもかかりにくい。
だからこれからは未来への期待を原動力にしていきたい。
そして考えなければならないことまで「考えなくて良いこと」に分類しないように気をつけたい。
考えなければいけないことが脳内を真っ黒にしてしまったときは、自分の心が壊れないよう、自身が第三者になって自分を守ってあげられる優しさを持ちたい。
Clubhouseを始めてみた
「Clubhouse招待いただきました!やってる方フォローお願いします!」
先週くらいにこんなツイートが怒涛で流れてきて、「はて……?」となっていた。
ただでさえTwitterやらInstagramやらYouTubeやらで個人発コンテンツが溢れかえっているのに「Clubhouse=音声版Twitter」って、もはやなんなんだ…?
と戸惑っていたのも束の間、普通に私も招待してもらって始めてみると、普通に楽しかった。
「この人ずっとTwitterで相互フォローしてきたけど喋ったことないな」みたいな人とやっと喋れたり、「え、こんなすごい人と喋っていいの?」みたいな現象が起きたり…とまぁ同じような魅力はすでに他の方々に語られているけど。
それに、音楽家も発信を始めていて、やたら音質の悪いのに演奏は一流…みたいなレア現象も起きていておもしろい。今まで公の人間だった人の「素の顔」が見れる。
なんだか、人と人の垣根がどんどんなくなっていくな、良くも悪くも。
パブリックとプライベートの境目がわからなくなってくる。
私はライターをやっているので「パブリック」の立場から文章を書くことが多いけれど、これだけ個々人の力が強まっていく中で、これからパブリックの立ち位置はどう変化していくのだろう。
あえて「パブリック」としてメディアやライター側にいる意味は?とか、自分の職業的価値みたいなものを改めて考えさせられた。
Clubhouseもまだまだ黎明期だと思うので、もっと動向を観察していきたい。
リモートワークが始まったから
リモートワークが始まった。
4月に緊急事態宣言が出たときも2ヶ月は在宅勤務していて、つまり2回目のリモートワークになる。
いやはや、リモートワークは楽。
理由は一つ、通勤時間や移動時間が圧倒的に減るから。
わたしの場合は通勤に50分くらいはかけているので、リモートワークのおかげで1日2時間増えたようなもの。
でも一つ懸念していることがある。
去年頑張って整えた生活スタイルがかなり崩れてしまいそうになっていること。
わたしは外でも仕事しているので、7時前に起きてフリー仕事、8時半〜20時半出勤、帰宅後ランニングと寝支度と家事と仕事、25時就寝というのが基本。
あえてカツカツのスケジュールを設定することで1日通して集中力が持つ、みたいな感じ。
でも2時間増えてしまったことで、余計に心に余裕が出てしまって、気づけば時間が経って何もできないまま就寝…みたいな状況になりつつある。非常にまずい。
だからわたしは一つやることを決めて、またあえてカツカツのスケジュールを組み立てようと思う。
やることは、音楽史の勉強。
めっっっちゃぶあっっっっつい音楽史のテキストがあるので、それを読んでとりあえず勉強します。
なんや、このどうでも良い記事。
2020年の振り返りと2021年の意気込み
2021年が始まった。めっちゃ今さらだけれど、2020年をざっくり振り返って、2021年の抱負を言いたいと思います。
まず、2020年のこと。
1. 仕事のこと
まず、社会人になった。学生時代からしている仕事を本職にした、というところ。
日中はライターズオフィスで正社員。経営者を相手にしたサービスを売ったり作ったり、広報を担当したり、業界紙とか企業の広報誌・会報誌などのインタビュー・執筆をしている。
ガッツリ東京で就活をしていて内定までもらったのにもかかわらず、結局地元の大阪で仕事をしているのは、学生時代からお世話になっていた今の会社に愛着があるから。何より人間関係で悩むことがないし、的確な目標を立てさせてもらえて、達成できる。
会社員もしつつ、社外では音楽系のライターとして活動。
正社員とフリーランスの二刀流、まさか自分が社会人1年目からハードな働き方をするとは思いもしなかったけれど、今はこの働き方がすごく合っていると思う。
どちらかだけにどっぷりハマるような生活は私には合っていない。自分の心のバランスが取れる働き方なので、予想以上に満足している。
2. 生活を整えた
とはいえ、やはり2つの仕事のフィールドを持つのはハードなので、2020年はまず生活を整えて時間を生み出すことに注力した。
元々ショートスリーパーだったけど仕事のパフォーマンスが落ちるから、最低でも6時間半は寝るようにした。そして夜更かしをやめて、朝型にして、フリーランス仕事は全て会社出勤前に済ますようにした。集中力を高めるためにランニングを始めた。早起き嫌い、運動嫌いの私には考えられない変化である。
私は極度のめんどくさがりなので、生活を変えようと思ってもなかなか実行できないタチだったけど、決意して腰を上げれば意外となんでもできるもんだと学んだ。
健康関連で加えると、ずっと悩まされていた頭痛が治った。どうやら水分不足だったらしい。今まで全く摂取しなかった水分を積極的に取るようにしたら、格段に治った。かなり良い発見だった。
3. 人間関係は難しい
年始あたりに人と揉めた。付き合っていた人とも別れた。年末にも人と揉めた。
別に誰が悪いとかここで言いたいわけじゃない。というか私が悪い。付き合っていた人とは円満に別れていて、自分の中では無に近いくらい消化しているし、むしろ感謝している。
他のは、あまり後味がよくはない。もう、それでいいのだ。そこが私と相手の縁の潮時だから。潮時というのは、「もうこれ以上、どんな言葉を尽くしてもこの人とは分かり合えないのだな」と思う瞬間のことをいう。わたしは手放した瞬間、言葉を紡ぐ意思を失うんだな、と改めて学ぶことが多々あった。
親が離婚したり、子どもの頃人間関係で悩みやすかったり、という経験を踏まえて最近学んだが、最初から「人と人は分かり合えないのだ」と思い込んでおくほうが楽。
世の中の喧嘩の8割は、「どっちが悪い」と白黒付けられるものではないと思う。
だから自分が悪かったところはとことん反省して、あとは「相性が悪かったのだ」と割り切るのが精神的に健康がいい。ただ、すぐに「相性が悪い」と切り離すのはやめておいてほしい、と今後の自分に思う。まずはお互いのために言葉を尽くすこと。
私は身近な大切にしてくれる人/大切にしたい人と、より良い時間を過ごしたいから。
難しいとはいえど、社会人になったので友達の大切さが身にしみる。
なんでもないことを話せる友人との時間、きちんと確保していきたい。お世話になっている人、みんな大好きだ。
4. 新しいこと
20代は、とにかくタメになるものに投資していって、仕事にできるものはかたっぱしからしていきたいと思っている。
ということでアナウンススクールに通い始めた。
私は今文字を通して「伝える」ことが仕事だけれど、見方を変えて、話すことで「伝える」ってどういうことなんだろう?と思ったことがきっかけ。
ニュース原稿やラジオ実習とか、知らない世界が広がっていて刺激的。
これでラジオDJになるのか?と聞かれれば、なれるチャンスがあればなりたい。
もっと社会に言葉を伝える勉強・仕事がしたいので。
無理だったら別の方法からアプローチしてみる。
5. 好きなこと
情勢からか家にいることが増えたので、かなりドラマをみた。
私は小学生の頃から、ずっとドラマが好きなのに、最近その気持ちを忘れていたな、と思った。
2020年観たのは「最高の離婚」「それでも、生きてゆく」「白い巨塔」「ちりとてちん」「カーネーション」「あまちゃん」「重版出来」「白夜行」「カルテット」「ラスト・シンデレラ」「オトナ高校」「スカーレット」「きのう何食べた?」「義母と娘のブルース」「仁」「野ブタ。をプロデュース」「おちょやん」「麒麟がくる」「MIU404」「逃げるは恥だが役に立つ」「いいね!光源氏くん」「私の家政婦ナギサさん」うーん、まだまだあると思う。
あとお笑いとか映画とか小説とか、エンタメとか作品に救われた1年だった気がする。
思いが高じて記事も書いてしまっている。
自分が何をして嬉しいとか楽しいとか、ちゃんと本能にしたがって生きていけた2020年だった。摂取するものの質にこだわれた。
結局何をするのが好きなのか、まぁ仕事で評価されるのが好きなんですが、それ以外にも趣味とかあったらなおハッピーに過ごせるんだなぁと。
メンタルの管理は、健やかにやっていきたい。
6. 悩んだら「まずやる」が肝
「勉強」から「仕事」が生活の主軸になってしまった以上、結果を意識せざるをえない。
アクセス数は取れたか?とか売り上げは伸びたか?とか目標は達成できたか?とか……
その結果に向かってやり方を模索する必要はあるんだけど、「こうした方がいいのかな…ああした方がいいのかな…」とうだうだ悩んで時間を費やすなら、まず手を動かす方がいい。
自ずとやり方は見えてくるから。結果が良ければオールハッピー、ダメだったならこれからよくなるからグッド。
2021年はどうしよう
とりあえず自分の生活を整えたり、自分のバランスを掴むのが2020年だった。
2021年は、そのバランスを崩しちゃうくらいいろいろ挑戦していきたい。
2020年の私は「生活が大事、そのためにはお金が必要、だから稼ぐ、なんなら好きなことで収入を得る、そしたらハッピー」というのがポリシーだった。
2021年の私は「生活は大事、もっと良い生活にしていきたい、そのためにはもっとお金が必要、だからたらふく稼ぐ、そのために好きなことをもっと突き詰めていく、なんなら好きなことを増やせるよう投資する」。
という感じだ、長い……。
つまり、長い目で見て数年後にはリッチに余裕を持って暮らしていけるよう、今年は自分にあるものは追求しまくり、まだないものは掘り出す。そういう研鑽への投資のために少々お金が減っても、数年後に取り戻すんだから!という勢いで頑張っていきます。
そして、とりあえずインプットインプットインプット。
本を読みます映像を観ます音楽を聴きます。
結局はどう生きていきたいか
この前こんな呟きをした。
昨年から引き続いて、音楽とか芸術とかビジネスとか仕事とか、そういう概念全て取っ払って、「自分がどう生きていたいか」を大切に実のある日々を過ごそう2021年。
— Kuwada Moe / 桒田萌 (@KuwadaMoe) 2021年1月3日
結局、仕事も音楽もドラマも、「自分がこれをしたい、触れたい、追い求めたい」からやってる。
そしてそれを突き詰めた姿や、それを得て何者かになった姿が、目指す自分だから。
なりたい自分になるために、「音楽」や「仕事」は手段に過ぎない。
結局わたしは自分が一番大事なので、自分がやりたいことなりたいものになるために、努力は惜しみません。
やはり心はヘルシーに。病まずに気張ってこう。
マヂカルラブリーに心震えた
12月20日、M-1を頭からお尻まで、テレビ画面の前から離れることなくずーっと観ていた。
マヂカルラブリーが優勝だった。正直、めっちゃ嬉しかった。
というのも私は和牛とかかまいたちとかミキとかテンダラーとか、しゃべくりの王道をいく「イマ」な芸人がめっちゃ好きだ。
特に和牛に関しては、圧倒的な話術と演技と、そしてなんといっても構成力。伏線を回収するための枠の組み立て方が緻密すぎて、あれを芸術と言わずして何と呼ぶ。
だけど。
マヂカルラブリーって何してた?決勝では暴走してた、ファイナルでは電車で転んでた。
つり革ネタでは、野田クリスタル声発さなさすぎて、身一つでがんばってた。
やってることが小学生すぎるのよ。電車にゆられすぎてトイレで暴走して汚い、とか、もはや小学生の男の子がやる悪ノリよ。
でも、そこがバカバカしくて逆に笑いが止まらなくて、めちゃめちゃに泣けた。
「和牛のウェディングプランナーのあの伏線回収が……」「かまいたちのポイントカードの話の展開方法が……」とか今までネタを分析的に楽しんでいた自分がバカバカしくなった。
今まで分析していたわたしを分析させなかったマヂカルラブリーが好きだ。
正直、上沼恵美子が笑いながら発した「あんたらアホやろ」の一言に尽きると思っている。この一言でべた褒めされて、挙げ句の果てに優勝できるって、めっちゃすごい。笑い泣きのあとに、普通に感動泣きした。
SNSには「あんなの漫才じゃない!」という感想があったけど、そもそも漫才ってなんや。
一応wikipediaで調べてみると、「漫才(まんざい)は、2人ないしそれ以上の複数人による寄席演芸の一種目。通常、コンビを組んだ2人によるこっけいな言い合いで客を笑わすものを言う」とあった。
あと、漫才について研究していた方の記事には、、漫才には定義があるらしい。
(以下定義を引用)
・マイク以外の小道具や音響を使用しない
・コントと違って本人が本人役を演じる
・その場で行われる会話という体を保つ
うん、マヂカルラブリー、めっちゃ漫才やね。
戦略的な伏線回収も、半端ないおしゃべり力も兼ね備えた和牛やかまいたちのようなコンビじゃなくて、めちゃめちゃドアホなマヂカルラブリーが優勝を取った、その事実に震える。なんかすごい瞬間をみた気分でした。
昨日のこと
体調が優れず、仕事を早引きした。
なんか関節が痛いし、体もちょっと火照っている。トイレにこもっている方がマシだと思ったけど、だからといってこのままよくなるわけでもない。しかもこのご時世、まさかあれじゃないか、あの新型ウイルスじゃないか。
と思ったらもうデスクに戻れなくて、上司にごめんなさいと言って早退した。
家に帰って、動画を観ながら寝た。起きたらもう20時半で、家族がご飯を食べていた。
体はめっちゃ元気になっていて、そのあとアナウンススクールの授業復習もしたし、ランニングにも行ったし、ためている仕事に手をつけた。25時には布団に入って就寝した。
あの体調不良はなんだったんだろうと思うけれど、結局は最近めっちゃ疲れてたし、最近寒すぎたんだわ。
最近、休みがなかった。時間管理やらかして、やることに追われている状況を作ってしまっていて、なんとか日曜日あたりにほっと落ち着いていたものの、次の日からはまた仕事。息のつく暇もなかった。
そしてそのバタバタしている間にも、自分も身近な人も何らかの物事でやきもきしていたりしたし、親はもうすぐ離婚するし。苗字はどうしようとか、戸籍が移ったら新しい自分になれそうだなとか、これからどんな人生歩もうとか。
考えることが多くて、マジでこの日々なんなんだと思ったし、反省するべきことはめちゃめちゃ反省して、モヤモヤも消化して、寝た後は全部ひっくるめて「これが師走だ」とまとめて脳内の河川に流すことにした。わたしはいつも、風邪をひいて一旦日々と心をリセットさせるのだ。
というどうでもいい日常ではあるけれど、なんか忘れられなさそうな、めまぐるしい日々だったので書いた。
大人になれば、楽になれると思ってた
子供の頃、よく周りから「大人になりなさい」と言われた。
でも、「大人になればどんな良いことがあるのか」は教えられなかったように思う。
幼稚園から中学生のころまで、若干生きづらかった。
それは、どうしても自分のことをあまり好きになれなかったから。相手に思ったように意見を伝えられない臆病な自分が嫌い。やっと伝えられる相手ができても、「これは伝えても良い/ダメ」の線引きがコントロールできなくて、人間関係がうまくいかなかったり……。
結局は他人に依存していたのだと思う。
そんな当時のわたしの性質に気づいた実年齢上の大人から散々「大人になりなさい」と言われるものだから、「はいはい、とにかく大人になればいいのね」と頭で理解して、年を取り、本当に年齢だけは大人になってしまった。
みんな「大人になりなさい」と言うのだから、大人になれば楽になれるんだ、悩みなんてなくなるし、人間関係で悩むことなんてなくなるんだと勝手に思っていた。
でも、大人になったからといって、楽になれるわけではない。
子どものままでも痛いけど、大人になっても痛い人はいる。
一応、20代になったのだから、人並みには成長する。対人関係で表面上はうまく折り合いはつけられるようになったし、気持ちの伝え方もなんとなく分かってきたし、昔ほど感情をあらわにすることもなくなったし、自分と徹底的に合わない人がいれば姿を消す術も覚えたし、それなりに自分を好きになれた。
きちんと自分の生きる場所と環境を選ぶ目を持てるようになった。
それでも、楽じゃないし人間関係の悩みはなくならない。
大人になると、こんな予想外なことがあった。
1つ目は、誰かとケンカしたらもう仲直りが難しいと言うこと。2つ目は、無駄な保身がやたらとうまくなること。3つ目は、自分のことを分かった気になるものの、本当は何も分からないままなんだということ。
これは大人も子どもも同じだけれど、人は自分の大切にしているものの価値を下げられた時に、悲しみや怒りを覚えるのだろう。
子どもはそんなとき、「ごめんね」といえばなんとかなったりする(そうじゃないときもあるけど)。何事もなかったかのように仲直りできる確率は低くない。
大人はそうはいかない。自分を守るプライドが自分を貶める相手を許さない。
その自分を傷つける/自分が傷つける相手が、嫌いな人なら、えい、と縁の糸を一気にハサミできればいいもの。
でも、それが自分にとって嫌いでなかったり、大事だったり、それともかつて大事だったり、そういう類の人ならどうすればいいのだろう。
人間関係って相互的なものだから、絶対にどっちかが悪い、ということではない気がする。相手から傷つける言動を受けたと思っていても、そうさせているのは自分だったりする。
わかっているなら許し合えばいいと思うけど、相手がそういう気持ちじゃなかったりする。こればかりはタイミングだから。
それに、相手を許すと、自分の心をないがしろにしてしまう。自分の心を許すと、相手を許せない。そんなところまできてしまうことがあるし…。
これが小学生どうだった?ごめんなさいの言葉だけで、物事は自然とおさまる可能性はあるのに。
ただ、わたしは縁を信じるので、大人になってもう戻らないところまで来てしまうと、そこでお互いがお互いのための役目を果たしたのだと、潮時の瞬間なのだと悟るようにしている。
喧嘩したら仲直りできないということ。保身してしまうこと。自分のことを分かった気になって分かっていないままであること。
それが大人になるということだなんて、難儀だなぁと思いながら、わたしは今日も明日も自分のために生きていくんだろうな。